”愛”しあう

十代とユベルのドロドロ愛イメージでセクシー格好良くしようと努力はした!
サイト説明にもずっと書いてますけども、この二人の"愛"は友情恋愛家族愛諸々
ありとあらゆる“愛"の"ごった煮"、それが私の認識です。
友情だけ、恋愛だけ、家族愛だけ…といったどれかの愛ひとつだけでもなく
形容できない未知の愛のようなふんわりしたイメージともまた何か違う、形を持った
全てのごった煮。

ユベルは両性で女性男性どちらとしての愛も持てる存在であるがゆえに
どんな愛情にも嫉妬を向ける事ができます。
「(超融合を使用することにより)全て終わりにすることで、
ボクは"君の全ての愛を永遠に独り占め"することが出来る!」

等々の台詞があるように、ユベルのとっては友愛だろうが恋愛だろうが
十代の持ちうる愛情であれば全て等しく他人に向けて欲しくなかろうものであり、
そして十代も
“ユベルが十代の全ての愛を永遠に独り占めする"ことに対して
「その通りだ」
と言って肯定し、ただし超融合は次元ではなくオレとユベルの魂に使う
という条件を出してそのまま超融合。因果を終わらせ、
その後
「ボクは今君の愛と力に包まれている」
とユベルが言っているように、ユベルは十代の愛を手に入れました。
“ユベルだけを永遠に愛するという条件で十代が超融合した"わけです。

現世と前世、双方永遠の愛の誓いを立てていても特に違う部分は、
前世では相手に要求されたのでも見返りを求めたのでもない無償の愛なのに対し、
現世は自分を愛して欲しい、こうして欲しい、こうしないで欲しい、
という見返りを求め独占したい等の欲も絡んだドロドロの愛情であることです。
でもそれは悪いわけではなく、
“大人"になる上で避けて通れなくなるとても人間臭い感情たちであり。
四期で十代が言っている「不格好な絆」の一つでもあって、
ドロドロで自分の中の醜い部分もありながら、でも同時に
そのおかげで胸の内をさらけ出し二人ぶつかることが出来ました。
心の闇を正しく制し、受け入れ、愛し、
その結果二人は大人になる旅を経て
デュエリストとモンスターや保護すべき存在・子供から一歩抜け出し最終的には立場に上下も無い対等なパートナーになり、減らず口なんて叩けたり、
十代の口から
「オレとこいつがどれだけの絆でここに立っているかは」
なんて言葉が生まれるほどのより強い信頼関係を紡げました。
こじれた始まりはドロドロだったとしても
それを私は美しい尊い関係だと思いますし、
なので十代とユベルの愛は、ドロドロだったけれどそれを凝縮して超融合で一つにして
磨き上げた結果、ドロ団子が美しく光る宝石のようになった。
例えるならそんなイメージです。

だから十代とユベルにとって愛は〜愛と個別に切り取って括るものではなく
その全てを凝縮した宝石がただ一言
“愛"
というものなのだと思っています。